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現代の音律
19世紀半ばに平均律の導入。
マーラーはミーントーンの調律が行われなくなることを嘆き、西洋音楽にとって大きな損失であると語った。
調の固有の性格が失われたため。
失われた調性の色彩感は、オーケストラの発展に伴い、楽器の多用な音色によって補われたと考えられる。
18世紀から19世紀には西欧音楽が世界中に伝播、演奏活動・音楽教育のために大量の楽器が必要とされた。
楽器の量産が行われると、経済効率と機能上の統一のために音律、音色も規格化される。
マリンバはもともと民族楽器であったが、西洋楽器として導入されるとすべての鍵盤が同じように響くように規格化された。
本来自然倍音を利用していた金管楽器も、改良され平均律を基準とした。
20世紀には様々な楽器が改良され、発明された。
また、十二音技法が作曲の基盤となり、「無調」スタイルが確立される。
より複雑で構築的な作曲技法を編み出す方向に展開していった。
聴衆にとっては、耳に居心地が良いものではなく「聴いても良くわからない」という印象を与えた。
多くの聴衆が離れた一因には、無批判に受け入れた平均律の存在もあるように思える。
1910年頃、社会学者のマックス・ウェーバーは著書「音楽社会学」で歌手の音楽訓練について触れている。
モノコードによる純正調で行われていた訓練がピアノで行われるようになり「精緻な聴覚が得られないことが明らかだ」と述べている。
しかし、平均律の音響的な欠陥は重大な問題とされず、機能的で効率的な長所だけがクローズアップされた。
テンペラメントの方法が模索された16世紀から17世紀頃には、半音より狭い微分音程が設定された鍵盤楽器が試作された。
ニコーラ・ヴィンチェンチーノは、古代ギリシャのディアトニック、クロマティック、エンハーモニックの三種類のテトラコードが
ひとつの鍵盤上で演奏できる「アルキチェンバロ」を発明した。
二段鍵盤で、オクターブは36個の鍵盤で構成されている。
古代ギリシャの音楽理論を復活させる意図で作られたが、独創的な楽器のため受け入れられなかった。
ミーントーンのウルフを回避するため、オクターブに17音、19音、31音などの配列をもった楽器も試作された。
黒鍵を分割し、異名同音を異なる鍵盤に振り分け、#系と♭系の調が弾きわけられるようにしてある。
ところが、ウェル・テンペラメントが出現すると、エンハーモニックな音程は同一の音高とみなされてしまった。
20世紀には、平均律をさらに細分化しようとする作曲家が現れた。
東欧モラヴィア地方の作曲家、アロイス・ハーバは半音を二分割した四分音や、六分音による微分音(マイクロトーナル)を理論化し、
作曲や四分音ピアノなどの楽器製作に適用した。
ハーバがたえず耳にしたモラヴィア地方の民謡がもつ細やかな抑揚やニュアンスは、半音より狭い音程を必要としたのだ。
ロシアの作曲家、イヴァン・ヴィシネグラーツキィも「超半音階主義」という実験的な方向を打ち立てながら、四分音を積極的に導入。
平均律では得られない、微細な和声進行や音響が生み出されたが、音楽的には後期ロマン派のような叙情的な傾向の範囲にとどまる。
20世紀初めに、東欧やロシアなど、西欧とは異なった耳を持つ作曲家によって平均律を微分音化する試みが行われた。
メキシコの作曲家、ヴァイオリニストのフリアン・カリージョは、ヴァイオリンの弦による実験で、オクターブを96分割する方法を考案した。
チャールズ・アイヴスも微分音程に興味を示し、アイヴスの父は四分音が出せる音響装置を製作したとも伝えられる。
「四分音の3つのピアノ曲」という二台のピアノのための作品を残している。
二台のピアノは、基準音を四分音ずらされ、平均律によって調律されている。
●ハリー・パーチの音律
アメリカの実験作曲家、ハリー・パーチはまったくあらたな音律理論を築きあげた。
近代以降の、身体という存在をまったく感じさせない無機的な音の世界をつくりだしている抽象的な表現を否定し、「身体の音楽」を目指した。
ピアノのような近代楽器は放棄され、生身の身体や肉声に対応するようなオリジナルの楽器が製作された。
その楽器に適用するための独自な音律のシステムが長い時間をかけて理論化された。
ピタゴラス音律のように、ある音を基音(ユニティ(unity))に設定し、全ての音程を整数の比率によって導き出す方法に徹した。
15世紀頃の声楽曲に適応された純正調は5までの素数が比率のなかに適用されていたが、
パーチの音律では11までの素数が使われた。
「11リミット」の純正調と考えられる。(ピタゴラス音律は3リミットの純正調)
純正音程は様々な物体を共振させる力を持っている。身体も例外ではない。
自らの音律のことは「モノフォニー」とよんでいる。
パーチ自身の声が出しうる最低音Gがユニティとして設定され、音律が組み立てられる。
例:
2、3、5など素数をパーチは「アイデンティティ」とよんでいる。
三つの素数による組み合わせ可能な比率は全部で7種。
オクターブに収めると
1/1C、6/5E♭、5/4E、4/3F、3/2G、8/5A♭、5/3A、2/1C
となる。
音程はシンメトリーに配置される。
分母と分子が同じ数値になるものをグループに分類すると
2が分母・・・・1/1、5/4、3/2
3が分母・・・・4/3、5/3、3/3
5を分母・・・・8/5、5/5、6/5
2を分子・・・・1/1、8/5、4/3
3を分子・・・・3/2、6/5、3/3
5を分子・・・・5/4、5/5、5/3
となる。
同じ数値で分母を共有する3つの音高は「和声的分割」によって導かれ、「オートナリティ(Otonality)」という調性をかたちづくる。
同じ数値で分子を共有する3つの音高は「算術的分割」によって導かれ、「ユートナリティ(Utonality)」という調性を生む。
これが独自の作曲理論や調律の基盤となっている。
実際のパーチの音律ではアイデンティティは2、3、5、7、9、11の六つ。
29個の音高が導かれ、調性の種類も12種類に増大する。
29個の音高を音階として並べると、音程が幅広くなっている箇所ができる。
そこにあらたな音高が挿入され、「四十三音音階」が生み出された。
シンメトリーな音程の配列で、さまざまなサイズの微小音程で構成される。
微分的な音階は、パーチ自身の英語による話し言葉に対応している。
足踏みオルガンのリードを調律し、43音階のすべてが出せる「クロメディオン」という楽器を製作している。
鍵盤に音高の比率が書き込まれ、持続音によって他の楽器の調律にも用いられる。
古代ギリシャの楽器をモデルとした「キタラ」、巨大な鍵盤の「ベース・マリンバ」多数の弦を持つ「ハーモニック・カノン」など
多数のパーチの楽器はすべて43音階に基づき調律されている。
演奏はすべてダイナミックなアクションが必然的に引き起こされる。
主著「ある音楽の起源」で自らの音律の理論や楽器の構造、演奏法を詳しく記している。
●ルー・ハリソンの音律
12音技法での無調のスタイルに疑問を感じたルー・ハリソンは、音の数を限定し、純正調などの音律を適用した。
1940年代、打楽器アンサンブルの作品で、ゴング、ベル、車のブレーキドラムなど日常的な打楽器を用いた。
平均律の音程からははみだしているが、メロディに独特の色合いや抑揚を与えていることを実感。
その後パーチの「ある音楽の起源」に出会い、純正調の可能性を感じる。
・1950年大後半、アメリカ西海岸にインドネシアのガムラン楽器が持ち込まれる。
以来西海岸を中心に大学のサークルなどで演奏団体を結成、アメリカン・ガムランの運動が巻き起こった。
いくつかのサークルではアルミ板などで楽器をつくったり、自作曲をレパートリーにもした。
ルー・ハリソンは「アメリカン・ガムランの父」とよばれ、指導的な立場にあった。
楽器製作家のビル・コルヴィックとともにガムラン楽器を製作。
ガムランの作曲を通じて先方や音律の可能性を模索した。
ヴァイオリンと小編成のアンサンブルによる「スレンドロの協奏曲」
ガムランの影響が色濃い。
※スレンドロとはインドネシア、ジャワ地方に見られる5音音階に基づく旋法のひとつ。半音が含まれない。
他にもジャワ地方には「ペロッグ」という旋法がある。半音が含まれ、7音音階の中の5音が使用される。
半音を含まない音階は五度圏によって形成され、世界中でポピュラー。
それに対して、半音を含む音階は独特の印象を与える。ペロッグ、沖縄の琉球音階、都節音階など。
日本では半音を含まないものを「陽旋法」、含むものを「陰旋法」としている。
ハリソンの覚書を集めた著書「ルー・ハリソンのワールドミュージック入門(Music Primer)」では旋法はあらゆる文化に広がり、人間にとって重要な遺産であると述べる。
旋法的な音楽を「異国風」とする西欧の偏見を批判した。
純正調では全音の幅もいくつもの種類が存在する。
純正音程を使って旋法が持つ多様性に対応しようとした。
「四つの厳格な歌」
ではネイティブ・ネイティブアメリカンのナハボ族のテキストをともなう八人のバリトンとオーケストラによる作品。
はじめて純正調による旋法が適用された。
ピアノは純正調による半音階で調律される。
「太平洋のロンド」
オーケストラ作品。ロンド形式、純正調による旋法。
全体は七楽章、奇数番目の楽章は五音旋法、第二楽章は六音旋法、第四楽章は七音旋法、第六楽章のみ平均律の12音技法。
中国や韓国の宮廷音楽、カリフォルニア、メキシコなどのスタイル、楽器が取り入れられた。
音高を固定しておくスタイルは「厳格なスタイル(strict style)」とよぶ。
「自由なスタイル(free style)」という方法は、楽譜上に音程関係の比率が書き込まれる。
演奏者はその比率の音を出す訓練が必要になる。
1990年代、あらたな音律の方法でガムランを調律。
ボエティウスの「音楽の教程」からヒントを得た。
純正4度を過分数の比率によって分割「16/15+5/4」「10/9+6/5」「8/7+7/6」の三種類が考えられる。
そのテトラコードに基づく音律でガムラン楽器が製作された。
「太平洋のオマージュ」はそのあらたなガムランのための作品。
2002年、「Solo Keyboards」リリース。
さまざまな鍵盤楽器の小品集。
それぞれの作品に、ウェル・テンペラメントによる調律法が適用されている。
2003年2月2日、ハリソンは心臓発作で亡くなった。
享年85歳。
ギター・ソロのための「ネック・チャンドからのシーン」が遺作。
ナショナル・スチール・ギターによる作品。
※1920年代、電気的な増幅が不可能な時期に、ジャズバンドで音量不足を補うために考案された楽器。
特別な指版により、純正調に調律されている。
※マックス・ウェーバー(1864~1920)
ドイツの経済学者、社会学者。
「音楽社会学」では音律や楽器を中心に西欧音楽が合理化される過程が明確に述べられている。
※ニコーラ・ヴィチェンチーノ(1511~1576)
イタリアの作曲家、理論家。
古代ギリシャの音楽理論の復活を試みたが、多くの反論を招いたといわれる。
六つの鍵盤をもつアルキチェンバロやアルチオルガーノを考案。
※アロイス・ハーバ(1893~1973)
チェコスロヴァキアの作曲家。
微分音の可能性を追求した。
四分音によるオペラ「母-Matka」が有名。
微分音のための鍵盤楽器や管楽器を開発した。
※イヴァン・ヴィシネグラーツキィ(1893~1979)
ロシアの作曲家。
スクリャービンの影響を受け、「ロシア・アヴァンギャルド」の作曲家でもあった。
フランスに亡命後も、四分音による微分音程的な方向を堅持していった。
※フリアン・カリージョ(1875~1965)
メキシコの作曲家、ヴァイオリン奏者、指揮者。
20年代から微分音を組織的に用いた作曲を始め、微分音のための数字譜や楽器も考案している。
※チャールズ・アイヴス(1874~1954)
アメリカの作曲家。
トーン・クラスターや微分音などのあらたな音素材を積極的に取り込み、また、コラージュやパッチワーク的な手法を駆使しながら
アメリカの実験的な音楽の源泉となっている。
ニューイングランド地方の超絶主義の哲学に大きな影響を受けている。
※ハリー・パーチ(1901~1976)
アメリカの実験音楽家。
ホーボー(放浪者)とよばれる生活を十年以上にわたって行い、このような体験が「バーストウ」、「USハイボール」などの作品に反映されている。
純正調や楽器づくり、身体性など、その一貫した創作態度が見直されている。
※ルー・ハリソン(1917~2003)
オレゴン生まれのアメリカの作曲家。シェーンベルクとカウエルに師事。ガムランなどのアジアの音楽に造詣が深く、また、中世の西欧やさまざまの民族の様式を融合した地球的なスコープの音楽を生み出している。
西欧の音律
古代ギリシャでは様々なテトラコードが考案されたが、
ローマ人は音程のなだらかなディアトニックを好んだ。
ボエティウスが著した「音楽教程」が中世以降の音楽の基礎となった。
モノコードを「四元数」という1、2、3、4の数で分割することでピタゴラス音律の音程が得られる実践的な方法が示してある。
モノコードは中世の音楽に秩序を与え、宗教上の規範の具体的な象徴とも考えられていた。
・17世紀、天文学者のケプラー
惑星間の運行の関係を協和する音程比によって算出し宇宙の調和というピタゴラスの観念を数値によって証明しようとした。
算出する手段にモノコードを使用。
・同時代ロバート・フラッド「両宇宙誌」
宇宙の調和を図像として描きだそうとした。
両宇宙とは「マクロコスモス(大宇宙)」と「ミクロコスモス(小宇宙)」のこと。
たくさんの銅版による挿絵の中で、宇宙のイメージを具現化するためにモノコードを用いている。
モノコードはその後、弦が増え、鍵盤もともないクラヴィコードに変身。
機能的に進化を続けピアノに。
キリスト教が西欧に浸透していく上で、音楽が担った役割はひじょうに大きい。
音楽を通して神の存在が具体的なイメージとして浮かび上がり、信仰心が強められる。
教会の指導者たちはこの力を最大限活用。
八世紀の教皇グレゴリウスの二世の時代に、ヨーロッパ各地に点在していたキリスト教の典礼音楽がグレゴリオ聖歌として編纂されたといわれている。
それ以降グレゴリオ聖歌が西欧社会に浸透するにつれてキリスト教の信仰の領域も拡大していった。
※グレゴリオ聖歌はピタゴラス音律によって唱えられる。
修道士たちはモノコードを使ってピタゴラス音律による秩序立てられた音程感をしっかり耳に刻み込み、グレゴリオ聖歌を唱えていたと考えられる。
その後、聖歌をより華やかに唱えようとする欲求から、様々な要素が付け加えられていく。
・トロープス
あらたな旋律がもとの旋律に挟み込まれたもの。
・オルガヌム
同時に重ねあわされたもの。
5度、4度の平行オルガヌムによってモノフォニー(単声音楽)から、ポリフォニー(多声音楽)スタイルに移行していった。
ピタゴラス音律のなかの純正5度や純正4度が豊かな音響を生み出した。
フランスのトルバドゥール、トルヴェール、ドイツのミンネジンガーなど中世の吟遊詩人たちもピタゴラス音律で歌っていたと伝えられている。
12世紀頃、ゴシック様式の大聖堂は、フランスに建造された。
その後3世紀にわたりヨーロッパ全土にひろがっていく。
典礼音楽も修道院から大聖堂に場を移していった。
パリのノートルダム大聖堂もゴシック様式。
調和を生み出すために、ピタゴラス音律と同様の比率が用いられている。
大聖堂全体の縦と横は2:1になっている。
「建築は永遠の調和を反映し、音楽はそれを反響される」
キリスト教は調和という理念を視覚化し、音響化するために、中世の音楽と建築はともに数比の秩序にしたがった。
ルネサンス期でも、15世紀のイタリアの有名な建築家、アルベルティはピタゴラスから視覚上の調和と協和する音程との関係を学んだといわれている。
●イギリス・アイルランド地方
フランスやドイツと異なり、3度を好んだ。
ピタゴラス音律の不協和なものではなく、5/4の純正3度。
ケルト人は紀元前よりヨーロッパの広範囲に渡る地域高い文明を誇っていた。
ローマ帝国の台頭によってイギリス・アイルランド地方など極西に追いやられた。
土着の宗教や文明を保持しながらも、ローマ・キリスト教と融合した独特のケルト文化を築いた。
イギリス・アイルランド地方では古くから純正3度の音程感を民衆の間で伝承していったと考えられている。
・イギリス風ディスカント
もとの旋律を3度や6度の平行音程によってなぞる歌唱法。
ピタゴラス音律が支配していた他の大陸にはみられないこの地方独自のもの。
14世紀~15世紀にかけて3度によるイギリスのスタイルは作曲家ジョン・ダンスフルによって大陸に伝えられたといわれている。
それがフランスで「フォーブルドン」という技法を生み、純正3度の響きが大陸に浸透した。
多くの人々が純正3度の甘美な響きに魅了され、大陸に広まっていった。
→同時に中世からルネッサンスへ。ピタゴラス音律は宗教的な活力。純正3度は快楽性。
15世紀にポリフォニーの複雑化。
純正3度の響きは協和する縦の関係を生み出した。
ピタゴラス音律のポリフォニーは分離して聴こえる。
純正3度では同時に響き合うホモフォニー的な傾向。
ピタゴラス音律の理論では純正3度に対応できない。
15世紀、スペインのバルイトロメー・ラモスは、ボエティウスが伝えたピタゴラス音律を批判。
純正3度(5/4)が含まれる音律を考案した。
当時の理論家からは強い批判を受けるものの16世紀になって支持され、純正調と名づけられる。
ルネサンス以降、しばらく使用される。
純正調
0セント1/10、204セント9/8、386セント5/4、498セント4/3、702セント3/2、884セント5/3、1088セント15/8、1200セント2/1
音程は
9/8、10/9、16/15、9/8、10/9、9/8、16/15
第三音、第六音、第七音は平均律よりも10セント以上低い。
全音に9/8(大全音)、10/9(小全音)が存在している。
ルネサンス時代では様々な分野で中世の規範や世界観から抜け出したい欲求と、ギリシャ・ローマの古代文化を見直そうという動きがあった。
十字軍の遠征によってアラブなど東方の文化が入り込んだ。
西方の十字軍は11世紀に回教徒からスペインのトレドを奪回。
トレドには巨大な図書館があり、アラブ語に訳された古代ギリシャの文献も収められていた。
アラブ語の音楽書を時間をかけて翻訳していくと、ピタゴラス音律だけが唯一の理論ではないことが明らかに。
16世紀に作曲家で理論家のザルリーノが、
発掘されたらプトレマイオスの「和声論」のなかの「インテンス・ディアトニック」に出会い、
その音程の比率がラモスの考案した純正調の音律と同じであることを発見。
それが純正調の正当性を確信させた。
16世紀では、和音を中心とした和声的な傾向が強まった。
中世の時代からの八つの教会旋法はポリフォニーのスタイルには有効であった。
しかし、和声的なスタイルに移行すると多くのものは必要でなくなり、和声の基盤である長三和音と短三和音の二つに対応した長音階、短音階という二つが音階として生き残っていった。
ザルリーノは純正調を数的な秩序で説明している。
・ピタゴラス音律は1~4を比率にする。
・純正率は1~6に拡大している。
・1~6という数字は三和音を生み出す基盤となる。
↓
「和声的分割」
モノコードの弦の長さを1/1C、2/1C、3/1G、4/1C、5/1E、6/1Gに分割すると、長三和音を構成する。
「算術的分割」
全体を6分割し、分割部分を一つずつ引いていく。6/6C、6/5E♭、6/4G、6/3C、6/2G、6/1Gとすると短三和音を構成する。
これによって和声理論の基礎を築いた。
また、和声的分割は倍音を導き出す方法でもある。
17世紀、フランスの音響学者ソヴールによって倍音の存在が知られるようになった。
18世紀には伝説的なヴァイオリニスト、作曲家のタルティーニによって「差音」が発見された。
※差音・・・二つの音が同時に鳴った時の振動数の差の音
ザルリーノの純正調による和声理論はこれらの発見によって裏付けされラモーが確立した機能的な近代和声論につながる。
かつてのポリフォニーでの旋法の多様性は、和声的音楽では移調・転調という形で実現された。
音階は2種類に限定されたが、主音の移動によって、かつての旋法の多様性が補われた。
16世紀、和声的なスタイルが進展し、声楽曲から鍵盤楽器を中心となると、移調・転調の際に純正調では問題が出てくる。
→テンペラメントのはじまり
鍵盤が最初に取り付けられた楽器はオルガンだった。
白鍵のみの全音階で、10世紀頃B♭の鍵盤が加えられた。
14世紀頃になって全ての黒鍵が揃った。
初期のオルガンはピタゴラス音律で調律されていた。
当時のポリフォニーのスタイルは調が限定されていたため支障がなかった。
16世紀以降、純正調による和声的なスタイルになり、調の範囲も広がってくると問題が生じてきた。
ピエトロ・アーロンは1523年に「ミーントーン(中全音律)」を発表。
純正3度を保つために純正5度を狭くした。
ミーントーンのようにうなりのない純正音程を微妙にずらすことを「テンペラメント(temperament)」という。
702セントを5度として積んでいくピタゴラス音律では、はみだした24セントをどこかから差し引く必要がある。
差し引かれた5度は702より24セント減少して678セントとなり、かなり不協和。「ウルフ(狼音)」とよばれた。
ピタゴラス音律では演奏する調によってあらかじめウルフの場所を決めておく必要がある。
例・Cを主音とする曲ではG#-E♭にウルフを置くのが通例だった。
鍵盤楽器に適用したウルフによって、美しく響く三度が15世紀に発見された。
ウルフの5度を挟む4つの3度は384セントで、純正3度(386)セントとほぼ同じ。
ピタゴラス3度と純正3度の差は22セントで、「シントニック・コンマ」とよばれた。
ミーントーンではC-G-D-A-Eの5つの連鎖の中でそれを平均化し、5.5セントずつ狭めた。
C-E間のDは純正3度(386セント)のちょうど半分(193セント)となることがミーントーンの名称の由来。
5.5ずつ狭め、ウルフは36.5セント広くなる。純正3度を持つ3和音は八種類もできるため、より自由な調の選択や転調が可能となった。
協和、不協和の落差が激しくなり、「感情過多様式」とよばれるバロック末期の特異なスタイルが生み出される一因となった。
調律が簡単なため、17世紀以降チェンバロなど鍵盤楽器の調律法として用いられた。
モーツァルトもミーントーンが適用できる範囲で調性を選んでいる。
ドイツでは比較的早くミーントーンが使われなくなったが、ロンドンでは1852になってもオルガンはミーントーンで調律されていたと伝えられている。
ミーントーンでは使用できる調性が限られていて、異名同音の変換もできない。
改善するために「ウェル・テンペラメント」と呼ばれるさまざまな音律がドイツを中心に考案された。
しばらくはミーントーンとウェル・テンペラメントが共存している。
「快適音律」「気持ちの良い調律法」などという用語が当てられている。
バッハの「平均律クラヴィーア曲集」はドイツ語では「Das wohltemperierte Clavier」、英語では「The Well-Tempered Clavier」となる。
つまりウェル・テンペラメントを指しているが、平均律と誤訳されている。
バッハはウェル・テンペラメントを想定して作曲したと考えられている。
18世紀、バッハの頃はどのようなウェル・テンペラメントを考案するかが大きなテーマで、音楽のサロンでは日夜議論が行われていたとされている。
ヴェルクマイスター、キルンベルガー、ヤングなどの種類がいまでも伝えられている。考案者=名称。
例
ヴェルクマイスター
ピタゴラス・コンマは4分割。6セントずつC-G-D-A-E間とB-F#間を狭めている。いくつかの長3度は純正よりも4セント高くなる。
ヤング
24セントを6分割。C-G-D-A-E-B-F#間を4セント狭める。純正より6セント高い長3度が生みだされる。
ピタゴラス音律と純正調の二つの領域がつくられ、調ごとに微妙な音調が生みだされる。
白鍵の多い調では純正調に近く和声的スタイルがふざわしい。黒鍵が多い調ではピタゴラス音律に近くなり、ポリフォニー的スタイルがふさわしくなる。
すべての調への適用や異名同音変換などの機能上の特性が、19世紀の和声音楽の表現を飛躍的に向上させる基盤となった。
「平均律クラヴィーア曲集」どのような調律で演奏されていたかは謎だった。
ヴェルクマイスターで演奏されていた仮説がある。
2005年に発表されたアメリカのハープシコード奏者・プラドリー・レーマンの論文では、
バッハの自筆譜の表紙に調律法が示されていたのではないかとしている。
19世紀は様々なウェル・テンペラメントが共存した。
ショパンも演奏会で一晩のプログラムに4台のピアノを使い、曲ごとに弾きわけていたことが伝えられている。
音律の煩雑さを解決するため、「平均律」が登場。
西欧では理論的な算出によってすでに平均律の存在は知られていた。
フランスの音楽理論家のマラン・メルセンヌは、リュートなどフレット楽器で、平均律の算出法を用いてフレットの間隔を計る調律法を説明している。
中国では朱戴堉が、日本では元禄時代に数学者の中根璋(あきら)の独自の算出法で平均律の存在が証明されていた。
調律法が難しかったため、実用化されていなかったが、
19世紀半ばになってやっとピアノの調律法として西欧音楽の歴史に登場。
1850年代、ピアノの大量生産が開始され、一律に適応する音律として平均律が導入された。
産業形態の変化が平均律をもたらした。
それ以降は、すべての楽器に対し平均律は調律の基準となった。
電気楽器、シンセサイザーなどあらたな楽器も平均律によって調律されることが前提となった。
すべての半音のサイズが同じになったことで、音程の扱いが容易になり、半音階的な和声、不協和音の多用、異名同音による複雑な転調の連続といった傾向が強まる。
→ワーグナーなど。
調性の秩序をゆるがせ、やがて崩壊させる。
20世紀初頭にはアーノルド・シェーンベルグによって十二音技法が考案された。
※ケプラー(1571~1630)
ドイツの天文学者。
惑星起動に関する「ケプラーの法則」が有名。
コペルニクスの地動説を発展させ、ニュートンの万有引力の基礎をつくる。
※ロバート・フラッド(1574~1637)
ルネサンス期のイギリスの哲学者、医者、神秘思想家。
錬金術やカバラ的魔術などオカルト科学を提唱。薔薇十字団の運動にも参加。
※アルベルティ(1404~1472)
イタリアの人文主義者、建築家。
「絵画論」はルネサンス絵画の理論書として有名。
※ジョン・ダンスブル(1390~1453)
イギリスの作曲家。
3度の響きが特徴。
ネーデルランドのデュファイやバンショワに影響を与えた。
※バルイトロメー・ラモス(1440頃~1491頃)
スペインの音楽理論家。
ドからシまでの七音の階名唱法を提唱、純正調の方向を推し進める等、西洋の音楽理論の変遷に多大な影響を与えた。
※ザルリーノ(1517~1590)
イタリアの作曲家、音楽理論家。
主著は「音楽論」17世紀以降のホモフォニーのスタイルの基礎となった。
※ソヴール(1653~1716)
フランスの音響学者。倍音が楽音の音色を決定することを発見。
音響学という分野の基礎をつくった。
※タルティーニ(1692~1770)
イタリアのヴァイオリン奏者、作曲家。
「悪魔のトリル」が有名。1714年に「差音」を発見。
※ラモー(1683~1764)
フランスの作曲家、音楽理論家。
ミーントーンの創始者として有名。
対位法に縦の関係を重視することを主張しながら、和声的な音楽への移行に影響を与えた。
※感情過多様式
18世紀半ばの北ドイツの作曲家にみられた。
急激な転調やダイナミクスの変化で、聴き手が様々な感情を引き起こすような表現が特徴。
大バッハの次男のカール・フィーリプ・エマーヌエル・バッハが代表的な作曲家。
※アンドレーアス・ヴェルクマイスター(1645~1706)
ドイツの作曲家、理論家、オルガン奏者。
ウェル・テンペラメントの調律法を考案。中世の神秘主義やケプラーからの影響も受けた。
※ヨハン・フィーリップ・キルンベルガー(1721~1783)
ドイツのヴァイオリン奏者、作曲家、理論家。
J・S・バッハに師事したこともある。音楽理論の有名な講師でもあった。
※マラン・メルセンヌ(1588~1648)
フランスの哲学者、音楽理論家。
十二平均律を理論的に確立した。デカルトたちとも交流し、数学や天文学、物理学などに精通。
音響学の分野でも重要な役割を果たした。
※アルノルト・シェーンベルク(1874~1951)
オーストリアの作曲家。
無調の手法を経て、十二音技法を確立。
弟子であるウェーベルンやベルクとともに20世紀の音楽の流れを決定づけた。
西アジアを中心するアラブ圏ではウードという楽器が音律理論をつくりあげる役割を担った。
9世紀~13世紀に音律の理論が大きく進展。
その間に活躍した音楽家、理論家がアラブ音楽の基礎を築いた。
古代ギリシャの理論を基礎にもつ。
●アル・ファーラービー
ギリシャ哲学や数学に精通していた。→ギリシャ文化を西欧に伝える橋渡しをした。
ウードの名手でもあり、「音楽大全」を著した。
内容は音響学、楽器、作曲法など。20世紀になってフランス語に訳されヨーロッパで広く読まれた。
ファーラービーが現れる10世紀頃まではピタゴラス音律によるテトラコードでウードを調弦していた。
ウードは4本、あるいは5本の弦を持ち西欧のリュートの前進。琵琶と同じ系譜に連なる。
開放弦の調弦はすべて純正4度。
指板によって調弦が特徴付けられる。
四本の指が押さえるポイント(勘所)を調整することで調弦が行われる。
ウードの調弦では勘所の音高と開放弦の音高が一致している。
開放弦A 1/1 0セント
人差し指B 9/8 204セント
中指 C 32/27 294セント
薬指 C# 81/64 408セント
小指 D 4/3 498セント
「A-B-C-D」「A-B-C#-D」の二種類のテトラコードがつくりだされる。
これらはピタゴラス音律のトノス(9/8)とリンマ(256/243)で構成されている。
4度関係である隣の弦との組み合わせで音階がつくられる。
ウードの4度調弦は、西欧のヴィオラ・ダ・ガンバなどのヴィオール族に受け継がれている。
ギター、リュートなども同じ系列。
・ピタゴラス音律の音程にはアラブ人独特の言葉の抑揚が持つ音感覚が適合しなかった。
→あらたな勘所を設定。
最初に人差し指と薬指の間に「ペルシャのウスター」と呼ばれた中指の勘所(81/68、303セント)が設定されたが成功せず。
8世紀にウードの名手で理論家のザルザルがペルシャのウスターと薬指の間にあらたな中指の勘所(27/22、355セント)を設定した。
「ザルザルのウスター」と呼ばれ、アラブ人の感覚に受け入れられた。
この355セントは長短3度の中間に位置する。
隣の弦に適応されれば852セントとなり、長短6度の中間にあたる。
このような音程は「中立音程」と呼ばれた。
この語のアラブの音律は中立音程を中心に展開された。
十世紀になると、ウードの指板上で展開された実験がアル・ファーラービーによってアラブの音律理論として体系化された。
その体系にはさらに複雑な微分音程も含まれている。西欧では姿を消した微分音程が、中立音程を生み出す素地になっていたとも考えられる。
・十分割されたファーラービーのテトラコード
0セント1/1、90セント256/243、98セント18/17、145セント162/149、168セント54/49
204セント9/8、294セント32/27、303セント81/68、355セント27/22、408セント81/64、498セント4/3
※ピタゴラス音律による古い勘所とザルザルの中立音程などの勘所が含まれ、微分音程がひしめき合っている。
プトレマイオスの考案した様々なテトラコードが理論的な産物であったのに対し、
ファーラービーの細分化したテトラコードは演奏するための実践的なものだった。
細分化されたテトラコードは連結され、オクターブは25音によって構成された。
そこから7音がとりだされ、七音音階がつくられる。
複雑化したテトラコードは13世紀の理論家サフィー・アッ・ディーンによって合理化される。
ピタゴラス音律のリンマ(90セント)とコンマ(24セント)を単位としてテトラコードを生み出し、連結によって音階を形成した。
ただし、中立音程は385セントと882セントになってしまい、妥協したものとなっている。
オクターブは17に分割され「十七律」とよばれた。これはアラブ音楽の基盤となった。
19世紀の後半にはさらなる合理化がはかられる。
シリアの音楽理論家M・ムシャーカは平均律の半音を2分割した24平均律をアラブの音律として導入することを提唱した。
中立3度は350せんとになり、本来の音程に近くなっている。
※ウード
「木」の意味。
ペルシャ起源のアラブの撥弦楽器。
音律の測定にも用いられる。
西アジアの楽器の女王と考えられていた。
※アル・ファーラービー(870頃~950頃)
アラブの哲学者、音楽理論家。
アリストテレスなど数多くの著作をアラブに紹介。
著書「音楽大全」は西欧にまで絶大な影響を与えた。
※ザルザル(?~791)
アラブのウード奏者、音楽理論家。
「ザルザルのウスター」という中立音程を導入した。
※サフィー・アッ・ディーン(1230~94)
アラブの音楽理論家。
アッバース朝の宮廷で楽士、書家として活躍。
「十七律」を考案しアラブ、トルコ、イランなどの音楽に影響を与えた。
※M・ムシャーカ(1800~1888)
アラブの音楽理論家、医者。
オクターブを24分割する方法を取り入れ、アラブ音楽の近代化に貢献した。
古代中国の音律
・中国での音律の起源を伝える伝説「黄帝伝説」
※戦国時代末期の紀元前3世紀頃編集された「呂氏春秋」より
音律に関する世界で最も古い記録と見られている。
紀元前2697年頃、黄帝族の首相の黄帝は天下を平定した後、国家的な事業に乗り出す。
・暦を制定
・文字の作成
・音律の決定
→伶倫という楽人に音律をつくるように命じる。
伶倫は音高を決める笛をつくるため西方へ向かった。
大夏の西の崑崙山の北にある谷間ですばらしい竹を発見。
節の均等な竹を選び三寸九分(11.7cm)の長さに切った。
それを吹き鳴らし黄鐘という基準の音高とした。
竹の管を12本作り、6つを鳳凰の雄鳴き声に合わせ、残りを雌の鳴き声に合わせた。
その音高は、はじめの黄鐘の音高から導き出された。
この伝説の管は「律管」とよばれ、古代ギリシャのモノコードのように音律を定めるための楽器。
大夏はトカラという国であったといわれる。(中央アジア、現在のアフガニスタンの北の地域)
トカラ人は紀元前13世紀以来ゴビ砂漠の東南にいた民族。
西方と東方の文明の橋渡し的存在だった。
紀元前1000年頃にはその高い文明も絶滅したといわれている。
おそらく中国はこのような人々と交流し文化を取り入れた。
メソポタミア発祥のバビロニアなどの古代文明では純正5度に基づく「上下反復原理」による調律の方法がハープやライアなどに適用されていた。
それら西方の調律の方法が中国に伝えられたと考えることができる。
古代中国での音律は社会の重要な規範のひとつであり、律管の長さが、長さや広さなどの度量衡の尺度にもなっていた。
基準音や音律の変更は周から清の間にも50回以上行われれた。
音律は支配者や国家にとっての権力の威信を示す象徴的な存在であった。
自然の摂理を反映したものなので、それによって社会の安定が保たれるということが伝えられてきた。
・鳳凰についての推察
黒沢隆朝は「音楽起源論」の中で西境の山の中で鳳凰族という異民族から歌を学び、音律を教わって帰ったという仮説を立てている。
・陰陽説と音律との関わり
陰陽説とは、女と男、冬と夏、火と水など、相反するものが融合して世界の調和が保たれるという考え方。
音律の奇数番目の音高は「男性の律」、偶数番目は「女性の律」と考えられている。
鐘を並べた編鐘という楽器は上の段に男性の律にあたる音高の鐘、下に女性の律にあたる音高が並べられた。
古代中国の音律は、律管を用いて、ピタゴラス音律と同じように3/2の積み上げによって作られる。
「上下反復原理」は、古代オリエント文明→古代エジプト→古代ギリシャ(ピタゴラス)→中央アジア→古代中国
と伝わったとも考えられる。
古代中国では「三分損益法」とよんでいた。前4世紀の「管子」で詳しく述べられている。
・基準となる「宮」
・三分損一した(3分の1短くした)笛を作ると純正5度高くなり「徴」
・それを三分益一した(3分の1加えた)笛を作ると純正4度低くなり「商」
・それを三分損一した「羽」
・さらに三分益一した「角」
「宮」「徴」「商」「羽」「角」は「五声」と呼ばれ、5音音階が構成される。
「呂氏春秋」には三分損益法によって十二個の音高を導くような記述もある。
「十二律」
基音となる黄鐘(C)から始まり、3分損一を繰り返し、
林鐘(G)、大簇(D)、南呂(A)、姑洗(E)、応鐘(B)、スイ(草かんむりに甤)賓(F♯)、大呂(C♯)、夷則(G♯)、夾鐘(D#)、無射(A#)、仲呂(F)
となる。
ピタゴラス音律と同じように純正5度の連鎖で音律を作った。
1オクターブにおさめると半音階が作られ、奇数番目を「律」とし、偶数番目を「呂」として「六律六呂」ともよばれた。
支配者が変わると黄鐘の音高も変化し、十二律の音程も変化した。
「五声」の方は十二律のいずれかの音を「宮」に設定する相対的な変化をした。
「五声」がつくられたのは「五行説」との関連も関係している。
「五行説」は自然現象、物質、身体、感覚、社会制度などを分類する考え方。
五つの色 黄・白・青・赤・黒
五つの味覚 甘い・辛い・苦い・酸っぱい・塩辛い
五つの基本元素 土・金・木・火・水
五つの音階 宮・徴・商・羽・角
基本元素と五声は対応している。
周王朝では「木」を重んじたため、「木」に勝つ「金」に対応する第二音を主音とする旋法は存在しなかった。
宮(C)・商(D)・角(E)・徴(G)・羽(A)
十二という数字も、十二ヶ月や十二支などさまざまな照合関係をつくりあげている。
「五声」に二つの音を加えると「七声」となる。
二つの新たな音は変徴・変宮とよばれる。
漢の時代になり、「準」という弦楽器で音程を正確に測定するようになると、ピタゴラス・コンマが問題になった。
漢の音律学者、京房は準を用いて三分損益法を60回まで拡張した。(差は約3.6セントに縮まる)
→60という数は12×5で、中国の古代思想と関連している。
京房は易学者でもあったため、「律室」という部屋をつくり
暦法と、方位。音律を組み合わせ様々な試みが行われた
→音律によるインスタレーション。
五世紀の南北朝、宋の時代に銭楽之が三百六十律まで測定。(差は約1.85セントに)
しかし律の数を増やすと測定も複雑になってしまう。
16世紀になって明の朱戴堉は十二平均律と同じものを理論的に編みだしたが実用化されず。
・古琴
孔子も愛用。
中国の賢人たちは書斎で奏で、心の安らぎを得ていた。
弦は七本。胴体は1メートル余り。
現在の中国ではそれほどさかんに演奏はされていない。
周の時代までは5弦であったが、2本追加された。
調弦は1/1C、9/8D、4/3F、3/2G、27/16A、1/1C、9/8D。
5度で、4度、オクターブを用いて調律したペンタトニック。
この純正音程の組み合わせによる方法にラッハマンは「協和音原理」という名前をあたえている。
胴体の表面には「徽(き)」13個の目印があり、指で押さえる。
目印の配置はシンメトリー。八分割、六分割、五分割のポイントに置かれた。
ザックスはこの分割による調律法を「等間隔分割の原理」と考えた。
ラッハマンは「小音程原理」とみなしている。
協和音程原理はハープ、パンパイプ、箏など個別の発音体があるものに、
分割による小音程原理は指孔をもつ笛や一弦リュートのような楽器に適応された。
古琴は二つのタイプを併せ持っている。
徽の音高
1/1C、8/7D、6/5E♭、5/4E、4/3F、3/2G、5/3A、2/1C、5/2E、3/1G、4/1C、5/1E、6/1G、8/1C
※Dが、開放弦のDと一致していない。
奏法として、徽のポイントをしっかり押さえて出す按音と、軽く触れて出す泛(ハン)音(ハーモニクス)がある。
※黄帝
古代中国の伝説上の帝王
度量衡や文字、医薬などを定めた。漢民族の始祖ともいわれている。
※律管
古代中国において、音律の音高の計測に使用された竹管の楽器。
度量衡の基準にもなった。
※京房(前77~37)
漢代の易学者、音楽理論家。
「準」を用いて音律を測定、三分損益法を拡張し六十律を考案。
易と暦を結びつけ、当時の政治的な動向にも影響を与えた。
※朱戴堉(1573~1619)
明代の暦学者、音楽理論家。
音律の研究に没頭し、「楽律全書」を著した。
中国数学を用いて十二平均律を考案した。
絵を描いたり音のおもちゃを
つくったりしてます。
なかよくしてね。
国立音楽大学
音楽文化デザイン学科
コンピュータ音楽系 卒業
多摩美術大学 大学院
情報デザイン領域