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古代中国の音律


・中国での音律の起源を伝える伝説「黄帝伝説」
※戦国時代末期の紀元前3世紀頃編集された「呂氏春秋」より
音律に関する世界で最も古い記録と見られている。
紀元前2697年頃、黄帝族の首相の黄帝は天下を平定した後、国家的な事業に乗り出す。
・暦を制定
・文字の作成
・音律の決定
→伶倫という楽人に音律をつくるように命じる。
伶倫は音高を決める笛をつくるため西方へ向かった。
大夏の西の崑崙山の北にある谷間ですばらしい竹を発見。
節の均等な竹を選び三寸九分(11.7cm)の長さに切った。
それを吹き鳴らし黄鐘という基準の音高とした。
竹の管を12本作り、6つを鳳凰の雄鳴き声に合わせ、残りを雌の鳴き声に合わせた。
その音高は、はじめの黄鐘の音高から導き出された。

この伝説の管は「律管」とよばれ、古代ギリシャのモノコードのように音律を定めるための楽器。
大夏はトカラという国であったといわれる。(中央アジア、現在のアフガニスタンの北の地域)
トカラ人は紀元前13世紀以来ゴビ砂漠の東南にいた民族。
西方と東方の文明の橋渡し的存在だった。
紀元前1000年頃にはその高い文明も絶滅したといわれている。
おそらく中国はこのような人々と交流し文化を取り入れた。

メソポタミア発祥のバビロニアなどの古代文明では純正5度に基づく「上下反復原理」による調律の方法がハープやライアなどに適用されていた。
それら西方の調律の方法が中国に伝えられたと考えることができる。

古代中国での音律は社会の重要な規範のひとつであり、律管の長さが、長さや広さなどの度量衡の尺度にもなっていた。
基準音や音律の変更は周から清の間にも50回以上行われれた。
音律は支配者や国家にとっての権力の威信を示す象徴的な存在であった。
自然の摂理を反映したものなので、それによって社会の安定が保たれるということが伝えられてきた。

・鳳凰についての推察
黒沢隆朝は「音楽起源論」の中で西境の山の中で鳳凰族という異民族から歌を学び、音律を教わって帰ったという仮説を立てている。
・陰陽説と音律との関わり
陰陽説とは、女と男、冬と夏、火と水など、相反するものが融合して世界の調和が保たれるという考え方。
音律の奇数番目の音高は「男性の律」、偶数番目は「女性の律」と考えられている。
鐘を並べた編鐘という楽器は上の段に男性の律にあたる音高の鐘、下に女性の律にあたる音高が並べられた。

 

古代中国の音律は、律管を用いて、ピタゴラス音律と同じように3/2の積み上げによって作られる。
「上下反復原理」は、古代オリエント文明→古代エジプト→古代ギリシャ(ピタゴラス)→中央アジア→古代中国
と伝わったとも考えられる。
古代中国では「三分損益法」とよんでいた。前4世紀の「管子」で詳しく述べられている。
・基準となる「宮」
・三分損一した(3分の1短くした)笛を作ると純正5度高くなり「徴」
・それを三分益一した(3分の1加えた)笛を作ると純正4度低くなり「商」
・それを三分損一した「羽」
・さらに三分益一した「角」
「宮」「徴」「商」「羽」「角」は「五声」と呼ばれ、5音音階が構成される。

「呂氏春秋」には三分損益法によって十二個の音高を導くような記述もある。
「十二律」
基音となる黄鐘(C)から始まり、3分損一を繰り返し、
林鐘(G)、大簇(D)、南呂(A)、姑洗(E)、応鐘(B)、スイ(草かんむりに甤)賓(F♯)、大呂(C♯)、夷則(G♯)、夾鐘(D#)、無射(A#)、仲呂(F)
となる。
ピタゴラス音律と同じように純正5度の連鎖で音律を作った。
1オクターブにおさめると半音階が作られ、奇数番目を「律」とし、偶数番目を「呂」として「六律六呂」ともよばれた。
支配者が変わると黄鐘の音高も変化し、十二律の音程も変化した。
「五声」の方は十二律のいずれかの音を「宮」に設定する相対的な変化をした。


「五声」がつくられたのは「五行説」との関連も関係している。
「五行説」は自然現象、物質、身体、感覚、社会制度などを分類する考え方。
五つの色 黄・白・青・赤・黒
五つの味覚 甘い・辛い・苦い・酸っぱい・塩辛い
五つの基本元素 土・金・木・火・水
五つの音階    宮・徴・商・羽・角
基本元素と五声は対応している。
周王朝では「木」を重んじたため、「木」に勝つ「金」に対応する第二音を主音とする旋法は存在しなかった。

宮(C)・商(D)・角(E)・徴(G)・羽(A)

十二という数字も、十二ヶ月や十二支などさまざまな照合関係をつくりあげている。


「五声」に二つの音を加えると「七声」となる。
二つの新たな音は変徴・変宮とよばれる。


漢の時代になり、「準」という弦楽器で音程を正確に測定するようになると、ピタゴラス・コンマが問題になった。

漢の音律学者、京房は準を用いて三分損益法を60回まで拡張した。(差は約3.6セントに縮まる)
→60という数は12×5で、中国の古代思想と関連している。

京房は易学者でもあったため、「律室」という部屋をつくり
暦法と、方位。音律を組み合わせ様々な試みが行われた
→音律によるインスタレーション。

五世紀の南北朝、宋の時代に銭楽之が三百六十律まで測定。(差は約1.85セントに)
しかし律の数を増やすと測定も複雑になってしまう。
16世紀になって明の朱戴堉は十二平均律と同じものを理論的に編みだしたが実用化されず。

 

・古琴
孔子も愛用。
中国の賢人たちは書斎で奏で、心の安らぎを得ていた。
弦は七本。胴体は1メートル余り。
現在の中国ではそれほどさかんに演奏はされていない。
周の時代までは5弦であったが、2本追加された。
調弦は1/1C、9/8D、4/3F、3/2G、27/16A、1/1C、9/8D。
5度で、4度、オクターブを用いて調律したペンタトニック。
この純正音程の組み合わせによる方法にラッハマンは「協和音原理」という名前をあたえている。
胴体の表面には「徽(き)」13個の目印があり、指で押さえる。
目印の配置はシンメトリー。八分割、六分割、五分割のポイントに置かれた。
ザックスはこの分割による調律法を「等間隔分割の原理」と考えた。
ラッハマンは「小音程原理」とみなしている。
協和音程原理はハープ、パンパイプ、箏など個別の発音体があるものに、
分割による小音程原理は指孔をもつ笛や一弦リュートのような楽器に適応された。
古琴は二つのタイプを併せ持っている。

徽の音高
1/1C、8/7D、6/5E♭、5/4E、4/3F、3/2G、5/3A、2/1C、5/2E、3/1G、4/1C、5/1E、6/1G、8/1C
※Dが、開放弦のDと一致していない。

奏法として、徽のポイントをしっかり押さえて出す按音と、軽く触れて出す泛(ハン)音(ハーモニクス)がある。

 

※黄帝
古代中国の伝説上の帝王
度量衡や文字、医薬などを定めた。漢民族の始祖ともいわれている。

※律管
古代中国において、音律の音高の計測に使用された竹管の楽器。
度量衡の基準にもなった。

※京房(前77~37)
漢代の易学者、音楽理論家。
「準」を用いて音律を測定、三分損益法を拡張し六十律を考案。
易と暦を結びつけ、当時の政治的な動向にも影響を与えた。

※朱戴堉(1573~1619)
明代の暦学者、音楽理論家。
音律の研究に没頭し、「楽律全書」を著した。
中国数学を用いて十二平均律を考案した。

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コンピュータ音楽系 卒業

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