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西欧の音律

古代ギリシャでは様々なテトラコードが考案されたが、
ローマ人は音程のなだらかなディアトニックを好んだ。

ボエティウスが著した「音楽教程」が中世以降の音楽の基礎となった。
モノコードを「四元数」という1、2、3、4の数で分割することでピタゴラス音律の音程が得られる実践的な方法が示してある。
モノコードは中世の音楽に秩序を与え、宗教上の規範の具体的な象徴とも考えられていた。

・17世紀、天文学者のケプラー
惑星間の運行の関係を協和する音程比によって算出し宇宙の調和というピタゴラスの観念を数値によって証明しようとした。
算出する手段にモノコードを使用。

・同時代ロバート・フラッド「両宇宙誌」
宇宙の調和を図像として描きだそうとした。
両宇宙とは「マクロコスモス(大宇宙)」と「ミクロコスモス(小宇宙)」のこと。
たくさんの銅版による挿絵の中で、宇宙のイメージを具現化するためにモノコードを用いている。

モノコードはその後、弦が増え、鍵盤もともないクラヴィコードに変身。
機能的に進化を続けピアノに。

 

キリスト教が西欧に浸透していく上で、音楽が担った役割はひじょうに大きい。
音楽を通して神の存在が具体的なイメージとして浮かび上がり、信仰心が強められる。
教会の指導者たちはこの力を最大限活用。

八世紀の教皇グレゴリウスの二世の時代に、ヨーロッパ各地に点在していたキリスト教の典礼音楽がグレゴリオ聖歌として編纂されたといわれている。
それ以降グレゴリオ聖歌が西欧社会に浸透するにつれてキリスト教の信仰の領域も拡大していった。
※グレゴリオ聖歌はピタゴラス音律によって唱えられる。
修道士たちはモノコードを使ってピタゴラス音律による秩序立てられた音程感をしっかり耳に刻み込み、グレゴリオ聖歌を唱えていたと考えられる。

 

 


その後、聖歌をより華やかに唱えようとする欲求から、様々な要素が付け加えられていく。
・トロープス
あらたな旋律がもとの旋律に挟み込まれたもの。
・オルガヌム
同時に重ねあわされたもの。

5度、4度の平行オルガヌムによってモノフォニー(単声音楽)から、ポリフォニー(多声音楽)スタイルに移行していった。
ピタゴラス音律のなかの純正5度や純正4度が豊かな音響を生み出した。

フランスのトルバドゥール、トルヴェール、ドイツのミンネジンガーなど中世の吟遊詩人たちもピタゴラス音律で歌っていたと伝えられている。

12世紀頃、ゴシック様式の大聖堂は、フランスに建造された。
その後3世紀にわたりヨーロッパ全土にひろがっていく。
典礼音楽も修道院から大聖堂に場を移していった。
パリのノートルダム大聖堂もゴシック様式。
調和を生み出すために、ピタゴラス音律と同様の比率が用いられている。
大聖堂全体の縦と横は2:1になっている。
「建築は永遠の調和を反映し、音楽はそれを反響される」
キリスト教は調和という理念を視覚化し、音響化するために、中世の音楽と建築はともに数比の秩序にしたがった。

ルネサンス期でも、15世紀のイタリアの有名な建築家、アルベルティはピタゴラスから視覚上の調和と協和する音程との関係を学んだといわれている。

 

 

●イギリス・アイルランド地方
フランスやドイツと異なり、3度を好んだ。
ピタゴラス音律の不協和なものではなく、5/4の純正3度。

ケルト人は紀元前よりヨーロッパの広範囲に渡る地域高い文明を誇っていた。
ローマ帝国の台頭によってイギリス・アイルランド地方など極西に追いやられた。
土着の宗教や文明を保持しながらも、ローマ・キリスト教と融合した独特のケルト文化を築いた。
イギリス・アイルランド地方では古くから純正3度の音程感を民衆の間で伝承していったと考えられている。

・イギリス風ディスカント
もとの旋律を3度や6度の平行音程によってなぞる歌唱法。
ピタゴラス音律が支配していた他の大陸にはみられないこの地方独自のもの。
14世紀~15世紀にかけて3度によるイギリスのスタイルは作曲家ジョン・ダンスフルによって大陸に伝えられたといわれている。
それがフランスで「フォーブルドン」という技法を生み、純正3度の響きが大陸に浸透した。

多くの人々が純正3度の甘美な響きに魅了され、大陸に広まっていった。
→同時に中世からルネッサンスへ。ピタゴラス音律は宗教的な活力。純正3度は快楽性。


15世紀にポリフォニーの複雑化。
純正3度の響きは協和する縦の関係を生み出した。
ピタゴラス音律のポリフォニーは分離して聴こえる。
純正3度では同時に響き合うホモフォニー的な傾向。


ピタゴラス音律の理論では純正3度に対応できない。
15世紀、スペインのバルイトロメー・ラモスは、ボエティウスが伝えたピタゴラス音律を批判。
純正3度(5/4)が含まれる音律を考案した。
当時の理論家からは強い批判を受けるものの16世紀になって支持され、純正調と名づけられる。
ルネサンス以降、しばらく使用される。

純正調
0セント1/10、204セント9/8、386セント5/4、498セント4/3、702セント3/2、884セント5/3、1088セント15/8、1200セント2/1
音程は
9/8、10/9、16/15、9/8、10/9、9/8、16/15

第三音、第六音、第七音は平均律よりも10セント以上低い。
全音に9/8(大全音)、10/9(小全音)が存在している。

ルネサンス時代では様々な分野で中世の規範や世界観から抜け出したい欲求と、ギリシャ・ローマの古代文化を見直そうという動きがあった。
十字軍の遠征によってアラブなど東方の文化が入り込んだ。
西方の十字軍は11世紀に回教徒からスペインのトレドを奪回。
トレドには巨大な図書館があり、アラブ語に訳された古代ギリシャの文献も収められていた。
アラブ語の音楽書を時間をかけて翻訳していくと、ピタゴラス音律だけが唯一の理論ではないことが明らかに。

16世紀に作曲家で理論家のザルリーノが、
発掘されたらプトレマイオスの「和声論」のなかの「インテンス・ディアトニック」に出会い、
その音程の比率がラモスの考案した純正調の音律と同じであることを発見。
それが純正調の正当性を確信させた。


16世紀では、和音を中心とした和声的な傾向が強まった。
中世の時代からの八つの教会旋法はポリフォニーのスタイルには有効であった。
しかし、和声的なスタイルに移行すると多くのものは必要でなくなり、和声の基盤である長三和音と短三和音の二つに対応した長音階、短音階という二つが音階として生き残っていった。

ザルリーノは純正調を数的な秩序で説明している。
・ピタゴラス音律は1~4を比率にする。
・純正率は1~6に拡大している。
・1~6という数字は三和音を生み出す基盤となる。

「和声的分割」
モノコードの弦の長さを1/1C、2/1C、3/1G、4/1C、5/1E、6/1Gに分割すると、長三和音を構成する。
「算術的分割」
全体を6分割し、分割部分を一つずつ引いていく。6/6C、6/5E♭、6/4G、6/3C、6/2G、6/1Gとすると短三和音を構成する。
これによって和声理論の基礎を築いた。
また、和声的分割は倍音を導き出す方法でもある。

17世紀、フランスの音響学者ソヴールによって倍音の存在が知られるようになった。
18世紀には伝説的なヴァイオリニスト、作曲家のタルティーニによって「差音」が発見された。
※差音・・・二つの音が同時に鳴った時の振動数の差の音

ザルリーノの純正調による和声理論はこれらの発見によって裏付けされラモーが確立した機能的な近代和声論につながる。

 

 

かつてのポリフォニーでの旋法の多様性は、和声的音楽では移調・転調という形で実現された。
音階は2種類に限定されたが、主音の移動によって、かつての旋法の多様性が補われた。
16世紀、和声的なスタイルが進展し、声楽曲から鍵盤楽器を中心となると、移調・転調の際に純正調では問題が出てくる。
→テンペラメントのはじまり

 

鍵盤が最初に取り付けられた楽器はオルガンだった。
白鍵のみの全音階で、10世紀頃B♭の鍵盤が加えられた。
14世紀頃になって全ての黒鍵が揃った。
初期のオルガンはピタゴラス音律で調律されていた。
当時のポリフォニーのスタイルは調が限定されていたため支障がなかった。
16世紀以降、純正調による和声的なスタイルになり、調の範囲も広がってくると問題が生じてきた。

ピエトロ・アーロンは1523年に「ミーントーン(中全音律)」を発表。
純正3度を保つために純正5度を狭くした。
ミーントーンのようにうなりのない純正音程を微妙にずらすことを「テンペラメント(temperament)」という。


702セントを5度として積んでいくピタゴラス音律では、はみだした24セントをどこかから差し引く必要がある。
差し引かれた5度は702より24セント減少して678セントとなり、かなり不協和。「ウルフ(狼音)」とよばれた。
ピタゴラス音律では演奏する調によってあらかじめウルフの場所を決めておく必要がある。
例・Cを主音とする曲ではG#-E♭にウルフを置くのが通例だった。

鍵盤楽器に適用したウルフによって、美しく響く三度が15世紀に発見された。
ウルフの5度を挟む4つの3度は384セントで、純正3度(386)セントとほぼ同じ。


ピタゴラス3度と純正3度の差は22セントで、「シントニック・コンマ」とよばれた。
ミーントーンではC-G-D-A-Eの5つの連鎖の中でそれを平均化し、5.5セントずつ狭めた。
C-E間のDは純正3度(386セント)のちょうど半分(193セント)となることがミーントーンの名称の由来。

5.5ずつ狭め、ウルフは36.5セント広くなる。純正3度を持つ3和音は八種類もできるため、より自由な調の選択や転調が可能となった。
協和、不協和の落差が激しくなり、「感情過多様式」とよばれるバロック末期の特異なスタイルが生み出される一因となった。
調律が簡単なため、17世紀以降チェンバロなど鍵盤楽器の調律法として用いられた。
モーツァルトもミーントーンが適用できる範囲で調性を選んでいる。
ドイツでは比較的早くミーントーンが使われなくなったが、ロンドンでは1852になってもオルガンはミーントーンで調律されていたと伝えられている。

 


ミーントーンでは使用できる調性が限られていて、異名同音の変換もできない。
改善するために「ウェル・テンペラメント」と呼ばれるさまざまな音律がドイツを中心に考案された。
しばらくはミーントーンとウェル・テンペラメントが共存している。
「快適音律」「気持ちの良い調律法」などという用語が当てられている。
バッハの「平均律クラヴィーア曲集」はドイツ語では「Das wohltemperierte Clavier」、英語では「The Well-Tempered Clavier」となる。
つまりウェル・テンペラメントを指しているが、平均律と誤訳されている。
バッハはウェル・テンペラメントを想定して作曲したと考えられている。

18世紀、バッハの頃はどのようなウェル・テンペラメントを考案するかが大きなテーマで、音楽のサロンでは日夜議論が行われていたとされている。
ヴェルクマイスター、キルンベルガー、ヤングなどの種類がいまでも伝えられている。考案者=名称。


ヴェルクマイスター
ピタゴラス・コンマは4分割。6セントずつC-G-D-A-E間とB-F#間を狭めている。いくつかの長3度は純正よりも4セント高くなる。

ヤング
24セントを6分割。C-G-D-A-E-B-F#間を4セント狭める。純正より6セント高い長3度が生みだされる。


ピタゴラス音律と純正調の二つの領域がつくられ、調ごとに微妙な音調が生みだされる。
白鍵の多い調では純正調に近く和声的スタイルがふざわしい。黒鍵が多い調ではピタゴラス音律に近くなり、ポリフォニー的スタイルがふさわしくなる。


すべての調への適用や異名同音変換などの機能上の特性が、19世紀の和声音楽の表現を飛躍的に向上させる基盤となった。

「平均律クラヴィーア曲集」どのような調律で演奏されていたかは謎だった。
ヴェルクマイスターで演奏されていた仮説がある。
2005年に発表されたアメリカのハープシコード奏者・プラドリー・レーマンの論文では、
バッハの自筆譜の表紙に調律法が示されていたのではないかとしている。

 


19世紀は様々なウェル・テンペラメントが共存した。
ショパンも演奏会で一晩のプログラムに4台のピアノを使い、曲ごとに弾きわけていたことが伝えられている。

音律の煩雑さを解決するため、「平均律」が登場。
西欧では理論的な算出によってすでに平均律の存在は知られていた。
フランスの音楽理論家のマラン・メルセンヌは、リュートなどフレット楽器で、平均律の算出法を用いてフレットの間隔を計る調律法を説明している。
中国では朱戴堉が、日本では元禄時代に数学者の中根璋(あきら)の独自の算出法で平均律の存在が証明されていた。
調律法が難しかったため、実用化されていなかったが、
19世紀半ばになってやっとピアノの調律法として西欧音楽の歴史に登場。
1850年代、ピアノの大量生産が開始され、一律に適応する音律として平均律が導入された。
産業形態の変化が平均律をもたらした。

それ以降は、すべての楽器に対し平均律は調律の基準となった。
電気楽器、シンセサイザーなどあらたな楽器も平均律によって調律されることが前提となった。

すべての半音のサイズが同じになったことで、音程の扱いが容易になり、半音階的な和声、不協和音の多用、異名同音による複雑な転調の連続といった傾向が強まる。
→ワーグナーなど。
調性の秩序をゆるがせ、やがて崩壊させる。
20世紀初頭にはアーノルド・シェーンベルグによって十二音技法が考案された。

 


※ケプラー(1571~1630)
ドイツの天文学者。
惑星起動に関する「ケプラーの法則」が有名。
コペルニクスの地動説を発展させ、ニュートンの万有引力の基礎をつくる。

※ロバート・フラッド(1574~1637)
ルネサンス期のイギリスの哲学者、医者、神秘思想家。
錬金術やカバラ的魔術などオカルト科学を提唱。薔薇十字団の運動にも参加。

※アルベルティ(1404~1472)
イタリアの人文主義者、建築家。
「絵画論」はルネサンス絵画の理論書として有名。

※ジョン・ダンスブル(1390~1453)
イギリスの作曲家。
3度の響きが特徴。
ネーデルランドのデュファイやバンショワに影響を与えた。

※バルイトロメー・ラモス(1440頃~1491頃)
スペインの音楽理論家。
ドからシまでの七音の階名唱法を提唱、純正調の方向を推し進める等、西洋の音楽理論の変遷に多大な影響を与えた。

※ザルリーノ(1517~1590)
イタリアの作曲家、音楽理論家。
主著は「音楽論」17世紀以降のホモフォニーのスタイルの基礎となった。

※ソヴール(1653~1716)
フランスの音響学者。倍音が楽音の音色を決定することを発見。
音響学という分野の基礎をつくった。

※タルティーニ(1692~1770)
イタリアのヴァイオリン奏者、作曲家。
「悪魔のトリル」が有名。1714年に「差音」を発見。

※ラモー(1683~1764)
フランスの作曲家、音楽理論家。
ミーントーンの創始者として有名。
対位法に縦の関係を重視することを主張しながら、和声的な音楽への移行に影響を与えた。

※感情過多様式
18世紀半ばの北ドイツの作曲家にみられた。
急激な転調やダイナミクスの変化で、聴き手が様々な感情を引き起こすような表現が特徴。
大バッハの次男のカール・フィーリプ・エマーヌエル・バッハが代表的な作曲家。

※アンドレーアス・ヴェルクマイスター(1645~1706)
ドイツの作曲家、理論家、オルガン奏者。
ウェル・テンペラメントの調律法を考案。中世の神秘主義やケプラーからの影響も受けた。

※ヨハン・フィーリップ・キルンベルガー(1721~1783)
ドイツのヴァイオリン奏者、作曲家、理論家。
J・S・バッハに師事したこともある。音楽理論の有名な講師でもあった。

※マラン・メルセンヌ(1588~1648)
フランスの哲学者、音楽理論家。
十二平均律を理論的に確立した。デカルトたちとも交流し、数学や天文学、物理学などに精通。
音響学の分野でも重要な役割を果たした。

※アルノルト・シェーンベルク(1874~1951)
オーストリアの作曲家。
無調の手法を経て、十二音技法を確立。
弟子であるウェーベルンやベルクとともに20世紀の音楽の流れを決定づけた。

 

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成瀬つばさ
誕生日:
1986/12/24
職業:
メディアアーティスト学生
自己アピールらん:
音大卒の美大院生。
絵を描いたり音のおもちゃを
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