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リズムシたちの制作日記やつぶやきなどなど。など。
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1980年半ば、ロンドンのソーホーでは60年代のブルーノート(*1)のレコードで踊るのが最新のファッションになっていた。英国人DJのポール・ブラッドショウはその仕掛け人のひとり。彼によるとディスコでは、70年代の終わりごろより少しずつロックやレゲエと一緒にジャズもかかり始めたという。最初はチャック・マンジョーネやクルセイダーズなどのフュージョン・タイプの曲が受けていた。ダンスミュージックでもあるため。83~4年頃より本格的なジャズ演奏がディスコで聞けるようになった。ジャズばかりかけるDJも何人か出始めた。

当時のロンドンのディスコは、常に営業している店とは別に、不定期で主催者がスペースを借りて開かれるものがあった。フリーランスのDJはあちこちに出没した。ブラッドショウがケニー・ドーハムの「アフロディジア」をかけてみると反響を得られた。次の週ブルーノートのオルガン・ジャズ、ファンキー・ジャズをいくつかかけると大受けした。そのためブルーノート・ナイトを企画するとたくさんの人が集まり、仲間のDJもブルーノートのレコードをかけるようになっていった。

その後ブラッドショウはイギリスを代表するジャズ雑誌「ストレート・ノーチェイサー」の発行人兼編集人となり、UKジャズシーンの重要人物となっていく。

本来のジャズファンとディスコに来る客層は一致しなかったが、それまでジャズのレコードを買ったことがない人も買いはじめるようになった。→ブルーノート、プレスティッジ、リバーサイドなどのコンピレーションを廉価版で発売すると、結構な売り行きとなった・。

87年ジャズ・メッセンジャーズが来英した時も、ディスコ層の若いファンが集まるようになっていた。


85年末にはニューヨークに「ホット」というバーがオープン。バーテンダーがジャズ好きだったため、好みのブルーノートを中心にレコードをかけていると、演奏にあわせて踊る客が出始めた。アメリカにはジャズ喫茶がないため、聞ける店が少なかった。若者は「ホット」にたむろするようになった。マンハッタンでジャズに合わせて踊れる店は当時ここだけであったが、86年になると周辺に20軒くらいはできていた。「MK」ではいち早くDJを起用。ブルーノートやプレスティッジのレア・グルーヴ作品をかけ、大いに受けた。
87年には「ニッティング・ファクトリー」でも併設していた「ニッティング・ルーム」を週末だけジャズで踊れるスペースとして開放。テーブルと椅子を外に出し、フロアで踊れるようにした。
80年に「デファンクト」でデビューしたジャズ・ファンク・グループのデファンクトのリーダー、ジョー・ボウイもジャズの動きに新しい風を吹き込んだ。彼らは「ニット・ルーム」でファンクとフリー・ジャズを合体させた演奏をしていた。時々60年代のブルーノート風ファンキー・ジャズを演奏すると大喜びされたと言う。客は所謂ジャズファンではなかったのでそういった演奏が新鮮にとらえられた。するとアメリカでも、ブルーノートのアナログ盤が売れるようになってきた。
ルー・ドナルドソン、グラント・グリーン、ジミー・スミス、ビッグ・ジョン・パットン、リューベン・ウィルソン、ベイビー・フェイス・ウィレットらがイギリスでもアメリカでも売れた。

そういったファンキーな演奏は、60年代前半のアメリカでもジュークボックスから流れ、若者たちが踊っていた。80年代になると「ジャズで踊る」ということにファッション性よいう要素が加味され、若者たちに支持されたのだ。

80年代末~90年代初頭にかけ、ロンドン、ニューヨーク、東京あたりのクラブでそういった音楽が大評判になる。それにより、60年代に吹き込まれたソウルフルな響きをともなうジャズが、「アシッド・ジャズ」「レア・グルーヴ」と呼ばれ、クラブ・ミュージック・ファンの間で注目されるようになった。

それでもアメリカでは一部のDJしかクラブでジャズをかけなかった。しかし、その音楽を用いて自分なりにリミックスするDJが現れると、変化の兆しが見え始める。初期はドラム・マシーンを被せたり、スクラッチを入れたりするヒップホップのテクニックを用いたものだったが、コンピュータが普及すると新たな音を加えたり一部を加工したりするようになっていった。

93年にUS3が、ハービー・ハンコックの「カンタロープ・アイランド」をリミックスした「カンタループ」を発売すると1000万枚以上の売り上げとなった。それに刺激され、多くのミュージシャンやDJが昔のブルーノートの音源を使ってダンス用の音楽を作るようになった。

ブルーノートの社長、ブルース・ランドヴァルは85年にブルーノートをリスタートさせる。当初はジャズ・ファンが対象だったが、ロンドンやニューヨークの若いファンからそれまでのジャズ・ファンに敬遠されていたような作品のプレスの要望が届き始めた。そういったアルバムが売れるマーケットがあることに気づいた社長は、若いDJたちにリミックス盤をつくらせていった。

現在でも「ジャズで踊る」というムーブメントは、形を変えながら大きな流れとなっている。

 

(*1)1939年、ドイツ出身のアルフレッド・ライオンが創立したレーベル。ジャズの名盤を数多く送り出した。


参考資料:
2006 河出書房新社 JAZZ TALK JAZZ 小川隆夫

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