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古橋悌二『LOVERS』 1994

2008年7月19日(土)~10月13日(日)
東京オペラシティアートギャラリー
企画「トレース・エレメンツ-日豪の写真メディアにおける精神と記憶」内での展示


満足度:☆☆☆☆☆

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「LOVERS-永遠の恋人たち」

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dumbtypeの中心人物、古橋悌二のソロワーク。

CDで、作品に使われている音楽は既に何度も聴いていたので、
遠くからそれらしき音が聴こえてくると気分が高揚しました。

彼の遺作である、ヴィデオ・インスタレーション作品。


以下引用

#############

9m四方の暗い空間の中、等身大の裸体の男女の映像がふわりとあらわれ、壁の上をかけぬけ、立ち止まり、虚空をかき抱くように抱擁のポーズをとり、消えていく。中央に設置され、回転しつづける数台のプロジェクターによって投影される青白い、ぼんやりとしたそれらの身体は、マイブリッジの連続写真を思わせるゆっくりとしたモーションの軌跡、その動きによって霊体のような冷ややかな存在感をはなっている。
 唯一古橋の体だけが観客の動きに反応して移動し、正面を向いて腕を広げ、後ろにあおむけに倒れこむように消えてゆく。他の像と異なり、その身ぶりは目前の誰かというよりは、世界をかき抱くようにゆるやかだ。ロマンティシズム、古橋が求めた冷たい官能性の表現が「走ったり、抱きしめたり」という単純な行為として神殿の壁画のように我々をとりまく。この単純なイメージの喚起力の中で、古橋は「センサーとして、コミュニケーションを投げかえす人」のシンボルとして司祭のようにあらわれる。情報化社会の中のはかない身体といった月並みなメタファーを越えて、この単純な古典的ともいえる形式の中には、古橋が到達した、確固とした人間性(ヒューマニティ)の表現があるといえよう。

#############


もう、ずっとここに居続けたいと思うような空間でした。
実際、もし一人で来ていたら閉館するまで居てしまったかもしれない。
投影された人間には触れることはもちろんできない。
後ろに倒れて消えていくときには喪失感とともに不思議なカタルシスも感じる。

音も映像の素材も洗練されていて、 限られたものしか使っていない。
だから人間の生々しさが際立つ。
これが死に触れた人間にしか創れない世界なのなら、その世界を見てみたいと思ったりもした。

こんな風に、圧倒的で、でもやさしく受け止められるようなそんな美しい表現をするための技術が欲しい。
そう思わせられる作品でした。

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