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cuba.jpg











世界民族音楽大集成
WORLD MUSIC GALA COLLECTION 94
キューバの音楽

*data*
1.アララのフォダンの歌と踊り
 1)エビオソ 1:56
 2)ダルア 2:33
 3)アホシ 2:27
 4)オフン・デガーラ 3:41
2.ハイチ人のヴードゥーの儀式と踊り
 1)ガガの踊りと行列の開始 4:59
 2)ダホメーのダンス(ヤンヴァロゥ) 5:19
 3)ヴードゥー・ダンス 4:12
3.サンテリア(バタ) 6:50
4.コンゴ教団/パロ・モンテ 12:58
5.サンテリア(アブウェス)
 1)オチュンに捧げる歌 0:19
 2)チャンゴに捧げる歌 4:27
 3)オッグンに捧げる歌 1:12
6.アバクワのウェンバ 5:06
7.タンボール・ユカ 4:57
8.ルンバ
 1)グァグァンコ 5:04
 2)コルンビア 6:37


1.ホヴェリャノス/マタンサスの<オフン・デガーラ>アンサンブル
ソロと指揮:ミゲルナ・バロ(1-1,2,3)
ソロ:クシスト・フランコ(1-3)
2.-1ロス=マークトス/カマグェイの<カイディヘ>アンサンブル
2.-2,3グァンタナモ/グァンタナモの<ロコシア>アンサンブル
3.レグラ/ハヴァナのルクミース共同体
4.ハタ/グァナバコアの<ババラウォ・エンリケ>と
 ロス・イホス・デ・サン・ラザロ寺院の人々
5.ババラヴォ・レネとレグラ/ハヴァナのサン・クリストバル寺院の人々
6.エンリカモ、ビアンコメーナとハタ/グァナバコアの<アバクワ>結社のメンバー
7.サン・ルイス/ピナール・デル・リオのアンサンブル
8.ハヴァナの<アンブ>アンサンブルのメンバー
 ソロイスト:オスカー・エルナンデス、マルティン・ラモス・モレホン

 

キューバの島にはアフリカ起源の音楽が存在する。
四世紀に渡り、奴隷貿易、集中的な奴隷制度が行われてきた。移民たちは祖先からの慣習や宗教を一部にせよ守ってこられた。→各「民族」にカビルドス(黒人たちをアフリカでの故地にしたがって結びつけ、相互扶助と社会的援助を行う組織)を作る権利を認めた古いセヴィリヤの法律による。

著名な集団
・カビルドス・ルクミース族(ヨルバ族)
・アララ
・カラバリ(カラバールス)
・コンゴス・レアレス(アンゴラ族)
表面上はカトリックに改宗している。
多くのカビルドスはカトリックの守護聖人や伝説上の聖人の庇護下に自分たちをおく。→習合
キリスト教の一神教とアフリカの汎神的な体系との融合。
相似したもの同士の補完も見られる。

信者たちは各々の神々のために歌い踊り、神々の方も「熱烈な信者」の肉体と魂に入り込むことで、その踊りに参加する。これが「憑依」ダンスまたは「神懸り(トランス)」である。


使われているイディオム
・打楽器のポリリズムと多調性
・コーラスとソロ演奏者が交互に歌う
全体を通しての共通するスタイル。


1.について
アララ教徒はサバル、マイノ、またはダホメー族であるという。
録音はホヴェリャノスにて。信者たちのグループはほぼバロ「ダホメー」一族のメンバーで成り立っていた。
ヨルバ族と関係がある。キューバのギニア系の教団としては最も古い形を残すもののひとつ。
儀式の歌には聖者への称揚、祖先(ククト)への誉め歌、「憑かれたもの」の踊りがある。
男女の踊り手はそれぞれの聖者の象徴で飾り立て、聖者の色の服を着る。

ソロ演奏者には呼びかけに答える小さなコーラスと打楽器のアンサンブルがつく。
・大型のドラム(大きいほうからフンガ、ゲッデ、フンシート)
・平らなベル(オガン)
・金属製のマラカス(チェレ)

最後の歌と踊りは奇跡の鳥オフン・デガーラにささげられたもの。
この鳥は信じるものに永遠の生命を約束し、このアンサンブルの守護者であり象徴。

 

2.について

・ガガの儀式
カマグエイのカイディーヘ・グループはハイチの黒人たちの移民の子孫を住民に含む。
サンタ・クルス・デル・スルに近い村、ロス・マークトスでの聖金曜日のガガ(ララ)の儀式を録音した。
録音は儀式の最初のララ・ダンス。
メンバーは「ラ・プラーセ(儀式の主催者)」に率いられる。
編成は
・ドラムと「タンボネ」のワンセット
・舌が外にある鐘(オガン)
・ガラガラ(チャチャ)
・ほら貝(ランビ)
・2本の竹のトランペット(バシンス)
・ホイッスル


・ヤンヴァロゥ・ダンス
それぞれの「ナンチョン・デ・ロア」は固有の足運びや踊りを持っている。
・ダホメー、コンゴ、ペトロ、イボ・ダンス
ペトロのグループではボウンバ、キタ、ペトロ。
ダホメーでは、ヤンヴァロゥ、ダホメー・ゼポール(ショルダース)、マイなど。


・ヴードゥー・ダンス
マンボ(女司祭)自身がロア(ヴードゥーの神)に憑かれ、交感する。
ヤンヴァロゥとヴードゥーのダンスはロコシア・アンサンブルが演じている。

 

3.について
この教団はヨルバ(オリチャ)の英雄神と、それらのカトリック協会との習合先に対する信仰を基礎としている。
ヨルバはキューバではルクミースまたはルクミと呼ばれ、20ほどのオリチャを信仰している。
それに加えて信者(サンテーロまたはサンテーラ)は、自分個人の聖人を選ぶか、特定のオリチャに身を捧げる。
信者は家の中にその神を祭り、神とともに踊る。
サンテリアの聖なるドラムはサイズの異なる二つの革のヘッドを持つ「バタ」である。
サイズは3種類(大きいほうからイヤ、イトテーレ、オコンコロ)。
イヤには家畜用の鐘(チャウォロ)を一列につなげたものがついている。


4.について
寺院での録音
レグラ・コンガはキューバではバンツー一族、コンゴ共和国、ザイール、アンゴラの住民たちの教団として知られる。
ンガンガは聖者の生命力を包含しているとされ、人間の頭蓋骨、骨、魔力を持つ草や石、墓地の土、小動物や昆虫の死骸などをある意味のある棒(パロス)とともに入れる。
ルクミースと同じように、信者たちは自分の家にンガンガを招き入れる。
教団が寺院で行う儀式
・入信の儀
・動物の生贄の奉納
・死者の葬儀と追悼
・祭儀

アコンリン(リード・シンガーたち)は次々と入れ代わり、ドラマーもリレーしながら夜を徹する。

 

5.について
ルクミース社会の一部ではバタの役割を3つのアブウェスまたはチェケレスが担う。
→大きな瓢箪を網に包んで作られたガラガラ。
網の糸に硬い種子やガラスの真珠がついている。
一番大きなものはバタ・イヤの役割。基本的なリズムを提供し、時に即興したり技巧を凝らした演奏をする。
他の二つは規則的なリズムを。
録音は19の歌からなる儀式の2、3、4番。

 

6.について
秘密結社「アバクワ」は1820年ごろ発展。黒人に熱心な信者を獲得、白人にまで広まった。
男性のみが入会資格を持つ。
歌と踊りは司祭が実演する。
腰まで裸になり、4本のドラムと舌が外にある鐘、マラカスが伴奏につく。

 


7.について
タンボール・ユカとは日曜ごとの儀式の習慣のこと。
歌と踊りの伴奏には小さなタピオカの樹をくりぬき、一枚だけ皮をはった簡易なドラムものを用いる。
皮の表面と胴体を両手かかばちで演奏する。
もともとのレパートリーはタバコ畑で働く集団が歌っていた労働歌。
バンドは3本のドラム(大きいほうからカハ、ムラ、カチンボ)、鍬(グアタアカ)が1本、円筒形の拍子木(クラヴェス)がつく。
ソロ・シンガー(ガリョ)による短い式文とコーラスによる応答が交互に歌われる。
歌詞は崩れたスペイン語。
このダンスがルンバ(runba)の起源になっている。

 

8.について
キューバでは1886年に黒人の連行と奴隷制が廃止された。
25万人以上の奴隷が解放されたが、土地も家もないため、大都市の郊外に集まる。
→レグラ、グアナボコアなどのスラム街ができた。
ここでルンバ(runba)が生まれる。
黒人のための完全に宗教色のない儀式。
当初は引き出しを逆さにしたものを叩いて伴奏をしていた。
後に箱になり、その後本物のドラム(一枚皮の単純なもの)となった。

ルンバは完全に黒人のものではないが、アフリカに起源をもつ。
打楽器の低い音域のものは自由に即興で演奏される。
高い音域の打楽器は一定のリズムをキープする。
大きなドラムは「エンブラ(女性)」といわれる。中間のものは「マチョ(男性)」、ピッチの高いものは「キント(5分の1)」と呼ばれる。
古いルンバの形式は劇場の外では残っていない。
グァグァンコ、コルンビアのみが残る。

・グァグァンコ
踊り手は誘惑と、性的な所有をめぐる戦いを模倣する。
男性は女性を征服する欲求を表現。
女性はそれをかわしていく。
・コルンビア
さらに早い踊り
ソロで踊り、痙攣するようなアクロバティックな動作をする。


参考:CDライナーノーツ 著者 Herman C. Vuylsteke   訳  大島 豊 

地球 46億年の歴史。
間違いがあるかも。
とりあえずメモ。
とりあえず暗記した範囲。


46億年前~『先カンブリア時代』

・生命の誕生は43もしくは38億年前か。諸説あり。
・25億年前より光合成のできる生物誕生。
→酸素の濃度が上昇していく。それに伴い様々な生物の誕生。
・何度か氷河期がおとずれた可能性あり。 


5億4400万年前~『古生代』

・様々な種類の生命が爆発的に増加。
カンブリア爆発
三葉虫はこの時代。
・巨大昆虫、魚類、爬虫類など。
・5億年前頃よりオゾン層が形成される。


2億5100万年前~『中生代』

◇三畳紀◇(2億5100万年前~)
パンゲア大陸の合体。
恐竜現れ始める。
・火山活動が盛んになる。
→生命の90~95%が絶滅。海洋生物も20%以上絶滅、地上では恐竜以外絶滅。

◇ジュラ紀◇(1億9500万年前~)
・パンゲア大陸が分かれ始める。
・恐竜達が活躍。
始祖鳥はこの時期。

◇白亜紀◇(1億6500万年前~)
・恐竜達もっと活躍。
・有胎盤類が出現。
・白亜紀末に恐竜達は全滅。生物の多くも絶滅。


6500万年前~『新生代』
・現在まで。

『先カンブリア時代』より後から現在までを『顕生代』とも分類できる。




1980年半ば、ロンドンのソーホーでは60年代のブルーノート(*1)のレコードで踊るのが最新のファッションになっていた。英国人DJのポール・ブラッドショウはその仕掛け人のひとり。彼によるとディスコでは、70年代の終わりごろより少しずつロックやレゲエと一緒にジャズもかかり始めたという。最初はチャック・マンジョーネやクルセイダーズなどのフュージョン・タイプの曲が受けていた。ダンスミュージックでもあるため。83~4年頃より本格的なジャズ演奏がディスコで聞けるようになった。ジャズばかりかけるDJも何人か出始めた。

当時のロンドンのディスコは、常に営業している店とは別に、不定期で主催者がスペースを借りて開かれるものがあった。フリーランスのDJはあちこちに出没した。ブラッドショウがケニー・ドーハムの「アフロディジア」をかけてみると反響を得られた。次の週ブルーノートのオルガン・ジャズ、ファンキー・ジャズをいくつかかけると大受けした。そのためブルーノート・ナイトを企画するとたくさんの人が集まり、仲間のDJもブルーノートのレコードをかけるようになっていった。

その後ブラッドショウはイギリスを代表するジャズ雑誌「ストレート・ノーチェイサー」の発行人兼編集人となり、UKジャズシーンの重要人物となっていく。

本来のジャズファンとディスコに来る客層は一致しなかったが、それまでジャズのレコードを買ったことがない人も買いはじめるようになった。→ブルーノート、プレスティッジ、リバーサイドなどのコンピレーションを廉価版で発売すると、結構な売り行きとなった・。

87年ジャズ・メッセンジャーズが来英した時も、ディスコ層の若いファンが集まるようになっていた。


85年末にはニューヨークに「ホット」というバーがオープン。バーテンダーがジャズ好きだったため、好みのブルーノートを中心にレコードをかけていると、演奏にあわせて踊る客が出始めた。アメリカにはジャズ喫茶がないため、聞ける店が少なかった。若者は「ホット」にたむろするようになった。マンハッタンでジャズに合わせて踊れる店は当時ここだけであったが、86年になると周辺に20軒くらいはできていた。「MK」ではいち早くDJを起用。ブルーノートやプレスティッジのレア・グルーヴ作品をかけ、大いに受けた。
87年には「ニッティング・ファクトリー」でも併設していた「ニッティング・ルーム」を週末だけジャズで踊れるスペースとして開放。テーブルと椅子を外に出し、フロアで踊れるようにした。
80年に「デファンクト」でデビューしたジャズ・ファンク・グループのデファンクトのリーダー、ジョー・ボウイもジャズの動きに新しい風を吹き込んだ。彼らは「ニット・ルーム」でファンクとフリー・ジャズを合体させた演奏をしていた。時々60年代のブルーノート風ファンキー・ジャズを演奏すると大喜びされたと言う。客は所謂ジャズファンではなかったのでそういった演奏が新鮮にとらえられた。するとアメリカでも、ブルーノートのアナログ盤が売れるようになってきた。
ルー・ドナルドソン、グラント・グリーン、ジミー・スミス、ビッグ・ジョン・パットン、リューベン・ウィルソン、ベイビー・フェイス・ウィレットらがイギリスでもアメリカでも売れた。

そういったファンキーな演奏は、60年代前半のアメリカでもジュークボックスから流れ、若者たちが踊っていた。80年代になると「ジャズで踊る」ということにファッション性よいう要素が加味され、若者たちに支持されたのだ。

80年代末~90年代初頭にかけ、ロンドン、ニューヨーク、東京あたりのクラブでそういった音楽が大評判になる。それにより、60年代に吹き込まれたソウルフルな響きをともなうジャズが、「アシッド・ジャズ」「レア・グルーヴ」と呼ばれ、クラブ・ミュージック・ファンの間で注目されるようになった。

それでもアメリカでは一部のDJしかクラブでジャズをかけなかった。しかし、その音楽を用いて自分なりにリミックスするDJが現れると、変化の兆しが見え始める。初期はドラム・マシーンを被せたり、スクラッチを入れたりするヒップホップのテクニックを用いたものだったが、コンピュータが普及すると新たな音を加えたり一部を加工したりするようになっていった。

93年にUS3が、ハービー・ハンコックの「カンタロープ・アイランド」をリミックスした「カンタループ」を発売すると1000万枚以上の売り上げとなった。それに刺激され、多くのミュージシャンやDJが昔のブルーノートの音源を使ってダンス用の音楽を作るようになった。

ブルーノートの社長、ブルース・ランドヴァルは85年にブルーノートをリスタートさせる。当初はジャズ・ファンが対象だったが、ロンドンやニューヨークの若いファンからそれまでのジャズ・ファンに敬遠されていたような作品のプレスの要望が届き始めた。そういったアルバムが売れるマーケットがあることに気づいた社長は、若いDJたちにリミックス盤をつくらせていった。

現在でも「ジャズで踊る」というムーブメントは、形を変えながら大きな流れとなっている。

 

(*1)1939年、ドイツ出身のアルフレッド・ライオンが創立したレーベル。ジャズの名盤を数多く送り出した。


参考資料:
2006 河出書房新社 JAZZ TALK JAZZ 小川隆夫

sunlight.jpg









Herbie Hancock  『Sunlight』
1978.8 SME

ハービー・ハンコック

1.I Thought It Was You
2.Come Running To Me
3.Sunlight
4.No Means Yes
5.Good Question


Personnel
Herbie Hancock(key,vo)

1.
Leon"Ndugu"Chancler(ds)
Byron Miller(b)
Wah Wah Watoson(g)
Ray Parker,Jr(g)
Raul Rekow(conga)

2.
James Levi(ds)
Paul Jackson(b)
Bill Summers(per)
Baba Duru(tablas)
Raul Rekow(congas)

3.
James Levi(ds)
Paul Jackson(b)
Ray Perker,Jr(g)
Bill Summers(per)
Bannie  Maupin(ss)

4.
Hervey Mason(ds)
Paul Jackson(b)
Bill Summers(per)
Raul Rekow(congas)

5.
Tony Williams(ds)
Jaco Pastorius(b)
Bill Summers(per)
Raul Rekow(congas)
Patrick Gleeson(aditional synth)

1978 San Francisco

Yamaha CP-30
Poly-Moog
ARP Odyssey
Micro-Moog
Mini-Moog
Hohner D6 Clavinet
Oberheim Polyphonic Synthsizer
Yamaha Polyphonic Synthsizer
ARP 2600
ARP String Ensemble
Sequential Circuits Propfet Synthsizer


ファンクやディスコの系譜に新たな道筋をもたらしたアルバム。
ハープ・アルバート「ライズ」は79年。クインシー・ジョーンズ「愛のコリーダ」81年。
自分で歌いたいという欲求により、ヴォーカル・フォーマットの採用。

 

ビルボード誌によると、「トップ10ジャズ・アルバム78」で1位、
「トップ・ジャズ・アルバム・オヴ1978(年間集計)」で12位。
1位は「フィール・ソー・グッド/チャック・マンジョーネ」2位「ロスの週末/ジョージ・ベンソン」
3位は「イメージズ/クルセイダーズ」4位「ライブ・アット・ザ・ビージュー/グローヴァー・ワシントンJr.」
5位「虹の楽園/ジョー・サンプル」

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プロフィール
なまえ:
成瀬つばさ
自己アピールらん:
音大&美大院卒。
絵を描いたり音のおもちゃを
つくったりしてます。
なかよくしてね。



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音楽文化デザイン学科
コンピュータ音楽系 卒業

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