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18世紀 産業革命
イギリスに始まり、ヨーロッパへ広がる
蒸気機関の発明、職人の熟練労働を奪う。
1830年頃よりイギリスでは、日常使うほとんどの生活用品が工場生産に。
→品質は粗悪だったため、特権階級の人々は優美な手作り品を愛用し続けた。
ウイリアム・モリス・・・近代デザインの父
1880年、工場生産によるものづくりを改めようと、アーツ・アンド・クラフツ運動をおこす。
工業の芸術化。新しい時代の造形美。
・建築、家具、調度品、壁紙、ステンドグラスetc…
19世紀末 アール・ヌーボー
パリを中心に展開。無機質な工業製品への反発、写真術出現によるリアリティの回避。
植物的曲線を用いた建築、家具、ガラス製品、工芸、ポスター、イラストレーションetc…
・ アントニオ・ガウディの建築
・ アルフォンス・ミュシャのグラフィックデザイン
・ ティファニーの宝飾
ウイーンでは芸術家グループゼセッション(ゼツェッション)が活動。
→機械生産を前提とした幾何学形態を活かす。(後にアール・デコ、バウハウスに影響を与える)
イギリスではグラスゴー派のマッキントッシュが活躍した。
1907年 DWB ドイツ工作連盟設立
ヘルマン・ムテジウス、ペーター・ベーレンスによるアーツ・アンド・インダストリー運動。
工業化社会を受け止め、機械生産による機能と造形美を追求。
→機能主義とデザインコンセプトを取り入れた製品づくりの誕生。
・ 工業生産の規格化(現在JIS規格の原型)によるコスト削減、品質・生産性の向上
・ デザインの概念を確立
ボルトやナットなど小さなパーツから住宅まで基準を設け、部材の単位を決める。
→全体との比率の重要性に気付き、新しい造形学の必要性が発生。
1919年 国立バウハウス
世界初のデザイン教育機関。
DWBメンバーでもあるワルター・グロピウスが設立。
美術、建築、工業、手工業、工芸など造形の原理・理論の実習を通じ、芸術と技術とを統合することを信念とした。
ヨハネス・イッテンは予備過程を受け持ち、独自の造形論、色彩論を展開。
1925年 市立バウハウス
校舎はデッサウに移る。校舎設計はグロピウス。
グロピウスの建築は世界に大きな影響を与えた。
国際様式(インターナショナルスタイル)として建築の近代主義(モダニズム)の基盤を形成。
新教授陣も新しいデザインを試みる。
・ マルセル・ブロイヤー・・・金属パイプの椅子
・ マリアンネ・ブラント・・・電気スタンド
・ オスカー・シュレンマー・・・舞台芸術
・ ハーバート・バイヤー・・・タイポグラフィ、グラフィックデザイン
・ モホリ・ナギ・・・写真実験、光の造形
カンディンスキー、パウル・クレー、ココシュカら画家も教授陣に加わる。
近代建築の巨匠ル・コルビュジェはバウハウスの教育方針に賛同。
近代国際会議(CIAM)にグロピウスとともに参加。
1928年、グロピウスはバウハウスを去り、学長はハンネス・マイヤーに。
しかしマイヤーは1930年に解雇。ミース・ファン・デル・ローエが3代目学長に。
※ ワルター・グロピウス、ル・コルビュジェ、ミース・ファン・デル・ローエの3人はともにベルリンの建築家でありDWBにも参加していたペーター・ベーレンスの下で働いていた時期がある。
1932年 私立バウハウス
ナチスの弾圧によりベルリンへ校舎を移す。
1933年 バウハウス閉鎖
更なる弾圧に耐えきれず、閉鎖。
絵を描いたり音のおもちゃを
つくったりしてます。
なかよくしてね。
国立音楽大学
音楽文化デザイン学科
コンピュータ音楽系 卒業
多摩美術大学 大学院
情報デザイン領域